2019年10月9日に、吉野彰さんがノーベル賞を受賞いたしました。
インタビューの時、71歳とは思えない少年の様な笑顔を輝かせていたのが、とても印象でした。
電池が発明されて200年以上。吉野彰さんが開発したリチウムイオン電池はまさに「電池革命」でした。https://t.co/TElr0gHD5v#ノーベル化学賞 #ノーベル賞
— 産経ニュース (@Sankei_news) October 9, 2019
この記事では記者会見から見えた、吉野彰さんがノーベル賞を受賞した、その裏側を具体的に解説していきます。
バランスと言うマインドセットです。
この記事を見る事で
・吉野彰さんが乗り越えた3つの壁
・吉野彰さんが伝える夢ある未来と危機感
この3つが分かる様になっています。
特にノーベル賞を受賞するまでのマインドセットを注意深くご覧ください。
なぜなら、私たちの生活にも使えそうな、視点や姿勢があるからです。
ではまず、吉野彰さんらしい過去を見ていきます。
興味津々のエネルギーが吉野彰さんにノーベル賞をもたらす
小学校の先生の勧めで英科学者ファラデーの著作「ロウソクの科学」を読み、自然の原理に触れたことが化学への興味の原点だと、会見でおっしゃっていました。
この時『黄色い炎は何度なのか』『赤い炎は何度なのか』を純粋に、先生に聞いていたとおっしゃっていました。
そして、記者会見でも印象的だったのが、71歳とは見えない少年らしい笑顔だったと感じたのは私だけではないはずです。
そして、京都大に入学した後は、意外だと思われますが、考古学同好会に入り発掘に精を出したそうです。
工学部と考古学との共通点を、こんな風に捉えていらっしゃいます。
考古学は文字がない時代について物的証拠を積み重ね、想像しながら論理を構築する。
この点は自然科学によく似ていて、論理的に物を見る目を養う事に一役買っていると、おっしゃっています。
歴史の流れの延長として現在を見つめ直し、その先にある未来を考えることが、研究開発の発想につながっ他のではないかと、おっしゃっていました。
未来を考える事というのは吉野さんの場合こんな風に例えることができます。
リチウムイオン電池を開発した当時は、安全性の基準がなく、電池に対し鉄の塊を落としたり、銃弾を貫通させて見たそうです。
アメリカの軍事基準を参考にしながら『返し使える安全性の証明』を行なっていきました。
こんなところが歴史の流れをみる考古学と、安全性をゼロから証明する工学的な考えがあったからこそできたのではないでしょうか。
結果オーライにはなってしまいますが環境問題に対して(リチウムイオン電池)1つ結果を出したと、吉野さんはおっしゃっています。
吉野彰さんのノーベル賞受賞はたまたまが原因?
旭化成に入社し、会社からは出された指示は、普及し始めていた家庭用「ビデオカメラ」に使える電池の開発が目標だったそうです。
その時ポリアセチレンが負極の材料に適していることは分かっていましたが、正極の材料が見つからなかったのです。
そしてたまたま82年の暮れに、研究室の大掃除をしていました。
そして「コバルト酸リチウムが正極に使えることを発見したが、負極の材料がない」と書いてある論文が目にとまった。
その論文とは、吉野さんと共同受賞が決まり、当時英オックスフォード大の教授だったジョン・グッドイナフ博士らによるもので、当時はほとんど注目されていなかった。
吉野さんは論文を見ながら、正極に使うコバルト酸リチウムを合成。
負極のポリアセチレンと組み合わせると見事に期待の結果が出ました。
アインシュタインにも似たトライ&エラーのマインドセット
それからもっといい素材はないかと、100種類以上試す日々が続きました。
理由は、製品化にはまだ壁や問題が山積みだったからです。
実は、ポリアセチレンは体積が大きく、電池の小型化には向かなかったのです。
それから、ポリアセチレンに構造が似ている素材を100種類以上試し、繊維を研究していた社内の別のチームが作った炭素素材にたどり着きました。
繊維の開発者からは「電池に使うのか!」とびっくりされたという。
これと似た様に、アインシュタインはこんな事を言っています。
私は、1万回失敗したのではない。
電球がつかない方法を1万通り見つけただけだ。
吉野彰さんには、このアインシュタインにも似たマインドセットがあったからこそ、ノーベル賞を受賞できたのではないかと、感じられずには要られません。
更にここで、色々なチャンスをモノにする為に、『チャンスとタイミングの違いについて』を記事にしました。
チャンスは平等とは言いますが、チャンスが同じであれば、結果が同じにならないのには、何か原因や理由があるからです。
吉野彰さんも、たまたま見た資料がきっかけで、ノーベル賞までたどり着いたのです。
そのたまたまタイミングを活かすかどうかは、自分次第な訳です。
ここではチャンスとタイミングの観点から、結果に繋がるまでのステップを解説いたします。
この記事を見る事で
・チャンスを意図的に作る方法
・結果につながるステップ
吉野彰さんがノーベル賞を受賞したマインドセットや理由が分かる一言とは
会見で一番印象的だった言葉が、以下の言葉です。
吉野さんは自らの研究者としての姿勢を問われました。
少し考えた後、「研究者は頭が柔らかくないといけない。」
それとは真逆で、「しつこく最後まであきらめないことも必要だ」とバランスの大切さを説いていました。
その理由として「剛と柔のバランスをとるのが難しい。堅いだけだとくじけてしまう。」
「壁にぶちあたったとき、『なんとかなるわ』という柔らかさが必要だと思う」と説明を加えています。
このマインドセットのお陰で、ノーベル賞を受賞することができたのだと感じます。
では吉野彰さんにはどんな壁があったのでしょうか?
実は、3つの壁があったとおっしゃっています。
その壁を詳しく見ていきましょう。
ノーベル賞までの3つの壁を乗り越えるマインドセット
これまで吉野彰さんが見てきた3つの壁があったと言っています。
その3つとはこの3つです。
①悪魔の川
②死の谷
③ダーウィンの海
これは、かなり独特な表現なので、分かりやすく例えると、この3つのなります。
死の谷=商品化
ダーウィンの海=事業化
この壁を1つ1つ乗り越えてきたとおっしゃっています。
基礎研究に5年、商品化に5年、事業化に5年と、計15年かかったそうです。
ちなみに一番きついのは、ダーウィンの海(事業化)だったそうです。
なぜなら事業化してから3年ぐらい、(発売したリチウムイオン電池が)全く売れない時期があったそうです。
しかしそんな時、時代が味方し始めました。
1995年つまり、Windows95が発売されました。
それはIT革命が始まりで、リチウムイオン電池の需要が急速に高まる事を、意味していました。
「未来が分かっていて、最初から分かっていれば良いのですが、もう既に開発研究費も膨らみ、設備投資も始まっていて、真綿で首を絞められるような苦しみを味わった」とおっしゃっています。
『なんとかなる』と『失敗したら・・・』このはざまのなかでも、常にトライアンドエラーの精神で乗り越えていったそうです。
何かゴールに向かって進んでいく時に、壁というのは必ず出てくる。
逆に、その壁を乗り越えれば、必ずゴールにたどり着く。
この時に信念のエネルギーや頑固な力を使うという事です。
その信念があれば、壁が何度も何度も出てきても、頑張っていけるんじゃないかと思うとおっしゃっています。
この信念の部分は、最後にマインドマップにて説明してありますが、周りを幸せにする事をさしています。
周りを幸せにするという意味は、こんな言葉から汲み取る事ができます。
『自然環境に対して1つの答えを出した』と言う言葉です。
ガソリン車を電気自動車に変えられる基礎を作った事。
使い捨ての電池ではなく、再生可能な電池を作ったと言う意味です。
ここで、吉野彰さんが思う、日本の状態を見ていきます。
吉野彰さんが思う夢ある未来と危機感
ノーベル賞を受賞した吉野彰さんですが、夢ある未来と危機感を伝えています。
それは、産業を原材料の調達から製品開発・製造、販売まで川の流れにたとえた場合、材料の開発など上流の川上分野では日本はまだ強い。
それを堅守すればまだまだGAFAの様に、世界をリードしていけると思う。
しかし川下は全然ダメだ!とおっしゃっています。
この川上・川下について意味が分からない方のために、もう少し分かりやすく解説します。
最近スマホ決済で使われる様になったQRコードですが、発明したのは日本の企業です。
自動車部品メーカーであるデンソー(愛知県)が発明しました。
仮想通貨を作ったのも日本人が最初だと言われています。
この開発・発明という部分が、吉野彰さんが言っている、川上という意味です。
この部分では日本はまだ世界に通用すると、思っていらっしゃいます。
ただし、川下(サービス)に流通させることが、できてい事が日本の問題付だと危惧しているのです。
QRコードでの支払いを、サービスとして世に広めたのは中国ですし、仮想通貨を投資というサービスにしたのはアメリカなのです。
この川下(サービス)に乗せられない日本に対し、危機感を感じていらっしゃいます。
話がそれますが、お掃除ロボットも日本が初めて作ったのですが、社内会議でこんな話が出て、商品・事業化(川下)に至らなかったそうです。
その会議であった一言とは

その商品でご老人が足を踏み外した時、責任は誰が取るのでしょうか
こんなマインドが川下(サービス)になる事を妨げているのです。
吉野彰さんのマインドセット
ここまで、ノーベル賞を受賞した吉野彰さんの一部分を紹介させて頂きました。
この一部分だけでも、吉野彰さんのマインドセットに触れる事ができたのではないでしょうか?
記者会見のなかで、共通して言えることは、バランスだと思います。
・努力と受容
・作る事と売る事
この対になる事柄を常にバランスをとりながら、使命や信念に対して忠実に舵を取っている様に感じています。
その信念と、『なんとかなるさ』と言う柔らかさをバランスよく持ち合わせるマインドが非常に重要なのだと感じています・
そして、最後に吉野彰さんの経歴をご紹介させて頂きます。
プロフィール
よしの・あきら 昭和23年1月、大阪府生まれ。
45年、京都大工学部卒。47年、京大大学院工学研究科修士課程修了。
同年、旭化成工業(現旭化成)入社。平成4年、イオン二次電池事業推進部商品開発グループ長。9年、イオン二次電池事業グループ長。
13年、電池材料事業開発室室長。
15年、同社フェロー。27年10月、同社顧問。
29年、名城大教授、旭化成名誉フェロー。
16年、紫綬褒章。24年、米国電気電子技術者協会(IEEE)メダル受賞。
26年、全米技術アカデミー「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」受賞。
30年、日本国際賞。令和元年6月、欧州発明家賞。
令和元年、ノーベル賞受賞
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